突然に秋

暑い暑いと思っていたら唐突に秋がやってきた。やっときてくれたね、秋。
日差しが強くても空気が透明になってきてるのを感じる。

秋は肺の季節でもあって落ち込みやすさや重さを感じたりもする。
そして気持ちは内側へ向かっていく。
いつものゆっくりを思いだそう。

終わらない夏

9月も半ばだというのに気温がなかなか下がらない。秋だなぁと感じる空気や瞬間は時折あるもののそれ以上に暑い印象。

野菜やくだものはその季節をほぼ間違いなく教えてくれる。
草も花もそうだけれど。

それは何でかなと考えたら誰に教えてもらうものでもなくそもそも備わっている知性なのかなと思う。人間にも同じくそんな知性があるんじゃないかしら。

個展開催中です

久しぶりの更新となってしまいました。
先月から2年ぶりに個展を開いています。

場所は群馬県の東吾妻町にあるカフェ、セレニテさんです。
来週の日曜が終了の日となりますが木曜から営業しています。

会期半分を過ぎいろいろな想いエネルギーが巡ってひとことで
済ませられない感じですがまたここに綴ってみようと思います。

「セレニテ」とはフランス語で平穏、静けさ。
その名のとおり静かに自分時間を過ごせる場所です。

在廊予定
7/14(日)

会期: 2024.6.20(木)-7.14(日)
オープン 木・金・土・日
時間:11:30-16:00ラストオーダー15:20
場所: セレニテ @iku.moms
吾妻郡東吾妻町岩下762-6
JR吾妻線岩島駅徒歩7分

春に感じること

春を待ち遠しく思う気持ちとまだこないでという気持ち。
春は揺らぐ。春は切ない。
いろんな気持ちがわきあがるこの季節。
集合意識と集合無意識と。

人間はさまざまな感情を感じて生きているようでも
ようくみてみればそんなにたくさんではないみたい。

変わりめを迎える方々にこころからおめでとう。

すべてが内側からの発露

「I know」というタイトルの作品。2016年に描いたもの。

描いたときにわからずにいたことが後になって何となく腑に落ちるというようなことがけっこうある。
時間を超え語りかけてくる。

「自分で何を描いているか分からないって何ですかそれ(笑)」というようなお言葉をいただいたりしてそれをすこし恥ずかしいことだと思ったりもしていたけれどそんなことはなかったな。少なくとも自分にとっては。

立春を過ぎてようやく。 今年もよろしくお願いいたします。

心身ともにあけてきた感覚。外側に依らず自分の感覚に従う。
今は情報がたくさんありすぎて身体が悲鳴をあげてしまいそうになるし
頭はもっと知りたいとそれをやめることをさせないけれど。

立ち止まり耳をすませるのは自分のこころ。

今年はそんなことを大切にできたらいいな。
2024年が皆さまにとってもかけがえのないすばらしい日々でありますように。

いづみのづはずじゃないの

11月に入り、今年もあと2ヶ月。もしかしたら本当に時間が短くなっているのかもしれないと思うこの頃。自分の頭は過去と今と未来とを行ったりきたり。

俯瞰することはニュートラルに捉えることと同じくらいとても難しいなぁと思う。
自分の認識できることはとても狭くて、でも広大な海のようでもあり。

いま、セイダカアワダチソウが花盛りで車を走らせていると鮮やかなきいろが目に飛び込んでくる。この植物をみると自動的に中学一年の担任だった先生のことを思い出してしまう。

その当時「これは外来種でとても悪いやつなんだぞ」と先生は教えてくれて「へぇ!そうなんだ」と中学生のいづみちゃんは思った訳です。それが今では薬効がありお風呂に入れるととてもいいなんていうことを聞くように。それでも私の頭のなかでは悪いものというイメージが拭いきれないまま・・・
初めて見たり聞いたりの印象はなかなかに強い。

その先生はいわゆる熱血先生でいつも一生懸命な先生で。好きな先生ではあったけれど、いつだったか「いづみのづはふつうはすにてんてんだ」と言われたことがあった。もしかしたら冗談だったのかもしれない。けれどそのときの衝撃がいまだ自分のなかにあることに気づくのだ。

手放すことと受け入れること

お彼岸が過ぎ、さらに秋の空気を感じるように。寒くなってくると自然とじぶんの内側に目がいくようになる。わたしの場合は年がら年中そんな感じではあるものの。。。

サラリーマンの頃からヨガをずっとやっていて、今は時々やるくらいのスタンスだけれどいつからか「手放す」ということばを無意識によく使うようになっていた。

数日前ある方と手放すってヨガやってる人よく使うよねなんて話をしていたときのこと
あぁ、手放すとは受けいれるということでもあるのかなという感覚が頭をよぎった。

ベクトルとしては真逆だけれど。
何だかわたしにはそう思えた。

ことばの表現に長けていると簡単なのかもしれないけれど自分の感覚をことばでカチッときれいにはまるように言いあらわせたとき、水面がさささと波紋を描くようにわたしのこころの奥の方にまで届く感じがする。

だからわたしにとってはそれがほんとうのことなのかもしれない。

秋が少しずつ

四季のある日本は季節が変わっていくグラデーションの時間を楽しめる国。
いつもならお盆が過ぎれば空気が秋にさっと変わったりするけれど、
今年はなかなか秋になりきらず夏と秋とを行ったりきたりしているみたい。

わたしはこのグラデーションが好きなんだなあと思ったりする。
ものごとが急に変わる訳ではなく少しずつ変わっていくその時間。

でも、自分のことだと何ですぐに変われないのだろうと思ったりもするのだ。
矛盾してる。この自己矛盾感はいつからか自分を苦しめるものとしてずっと
わたしのなかにあったけれど遠くからみたらグラデーションってとっても魅力的。

どの瞬間もそれぞれの色があって全体が成り立つのだもの。
そんなふうに思えるじぶんをみつけた。