思うこと

忙しなさのなかに静けさをみつける

誰かの文章で見かけたのだけど「2月は逃げる、3月は去る」というのだそう。この数年、いやずっと前から(時間の経つのが)あっという間ですね、とか早いですねという話になる。年を重ねると早くなるんだということを小学校の時先生にきいた記憶がある。それもあるのかもしれないけど、全体的に加速しているような印象もある。

そして今、誰もが忙しいと感じるのは、情報量の飽和もあるのかもしれないとふと思った。そして忙しいと思うことによりまた次の忙しい自分を作りだす意識のようなもの。頭で分かっているつもりでも腑に落ちるまでは同じ事を繰り返したり、思ったりする。

ニュートラルでいることの何と難しい事だろう。

それでも静けさへの小さなドアみたいなものがきっかけとしてあるような気がする。どうしたって巻き込まれる時は巻き込まれるんだよなーという気持ちも含めて柔らかく自分を見守りながら少しずつ。

怒りの地層

立春で良い気分になっていたところにちょっとした出来事で感じることがあった。理不尽な事、権力への強い抵抗が自分のなかにある事は自覚していたけれどそれは同じようなカタチで時々やってくるのだ(苦笑)。そういう時って後から頭で考えてもよく分からない。疲れてたのかしら、今日あった出来事に原因があったかなと思い巡らす。

〇〇だから◼️◼️になった
あれは▽▽だから◎◎でしょ

原因が分からないと納得がいかない。もちろん理由があって結果があることもあるだろう。
複合的な理由の事もあるし本当のところはそんなの分からないんだろうなと。

これは何かのメッセージ??
それも自分が納得したいだけの意味づけになってるとしたらきっと違うんでしょうね。

昨日は少しだけ違う感覚で意識を眺めてみた。そうしたらどうも怒りの感情があちらこちらにあるらしい?いろんな状況でその時々に感じていたじぶんの感覚を信じられず誰かの言うことに沿った行動をしたこと、抑えてきてしまった気持ち。まるで地層のように積み重なってる・・・

納得して判断したつもりでいたのがそうではなかったということが今になって判明。。。
すっかり忘れていた。ちょっと今ごろ!?ってこえが聞こえてくる。
いや、その時はわかり得なかったんだよ。力なく答えるわたしがいて脱力するしかなかった。

「怒り」は良くないこと、その無意識に入り込んだ観念が我慢しているとお知らせのように現実に立ち現れる。必死で働いていたサラリーマン時代、わたしはずいぶん怒っていたんだと思う。でも同時にその怒りをどこに向けたら良いのかずっと分からずにいた。犯人探しをするように何でどうしてを繰り返しても自分がより観念を強めてしまうだけだった。だから考えるのをやめた。

今もそれは厳然とあるんだなぁ。時間が解決なんて実は無いのかもしれない。
じぶんの本当を発掘する日々は続く。

なんどもなんども

前回文章にしてみて浮かんできたこと。あなたそれもジャッジしてるよね!ってこと。
なんだか笑えるー。この繰り返しどこまでもエゴ。

なぜはやく回復しないといけないの?

あと少しで1月が終わる。今年も3月に草木染めのnogomiさんと展示をご一緒する。

はやく、準備しなくちゃなのに。
どうして身体が動かないの、なんでどうして。

最初の頃は休むしかないな〜とのんきでいられたのが
だんだんどうして動かないんだ、わたしの身体となっていった。

焦りという感情を無意識に選択してしまうわたし。
そんなものを持っても碌なことがないのはこれまでの経験で
分かってきてるはずなのにというマインド。

体調がいまひとつだとそういう方向に転びやすいのかもしれない。
抜けきらない何かを抱えこみどんよりした日々。
以前よりはどうしたらいいかも分かるのにそれができない自分もいた。

ことばにもできない重たいエネルギー
苦しみは摩擦

でもからだはしっている。
春がやってくることを、みずから動きだせる力が自分にあることを。
数日前から自然と太陽礼拝にスクワットをやりだした自分がいた。
そう、やりたくなるまで待てば良い。
ほんとどこまでじぶんを信じきれるかに尽きる。

くまが教えてくれたこと

おきたできごとに対して僅かでも違う角度でみることができたなら。
過去も自在に変えることができる。うん、これは頭で考えていること。
腑に落としていく作業が生きてくってことなんだろうか。

受け入れるということ

1月の半分を過ぎた。年明けに体調が崩れたのだけど時々熱を出すのはからだの掃除になるみたいで気持ち良い部分があったりする。熱を出すにも体力が要るのだ。昔は熱が出せなくて不調期間がやたらに長くそれで消耗してという悪循環のなかにいたから熱が出るとちょっと嬉しい。

受け入れるということはどういう感覚なのか、わからないままずっと考えていた。

熱が下がったらいきなりこんな感じなのだろうかという曖昧模糊としたかたちがおぼろげにみえてきた気がしているのだけど。ことばにならないからそっとしておくことにする。

今年の展示活動は終了しました。そしてつれづれに

12月ははやいだろうなと思っていたらその通りで、あと数日で今年も終わろうとしています。
今年も無事に活動を終わることができました。個展もグループ展もそれぞれに思うことがありますが、以前よりも等身大の自分でやれたような気が少しだけしています。

12月に入ってすぐ大切な友人が亡くなったのですがその事も今の自分にとって沢山のメッセージをプレゼントしてくれたようです。自分の事が本当に分からず生きてきたなぁと今さら思うわけですが、分からないながらによくやってきたんだよと思える自分が今はいます。

「自分をたいせつに」そんなことばを耳にするようになってからどのくらい経つのでしょうか。
たいせつにするって・・・一体どうすればいいの?と戸惑いを感じた事を覚えています。
ノウハウではない「たいせつにする」それはおそらく個人個人で違うのかもしれないです。

自分でやって感じて身体に染み込ませそれを繰り返しながら自分のそれを獲得していくのかな。ひとつの季節が終わり次の何かは分からないけれど何かがはじまっていく、そんな感覚があります。

こちらに訪れてくださる数少ないみなさまもどうかご自愛くださいますように。
暖かな年末年始をお過ごしください。

胸に刺さったままだったことばの棘をそっと抜く

少し前、お世話になっているギャラリーさんに伺ったときのこと。ベテランの作家さんを交えお話していたときに「今は誰でも表現ができるいい時代になった」という話に。たかだか20年、30年と思うかもしれないが確かに違ったのだろうなという想像はできる。

「本当に女性が絵を描いて発表することは大変だったのよ、いづみちゃん。あなたは良いわね、今の時代に活動できて。」

そのことばに若干の違和感は感じたものの笑いながらそうですね、なんて相槌を打っていた。ふと私が中学生のときの美術教師のことが頭に浮かんだ。話してみたらその先生のことを知っているという。◯◯さんは群馬ではとても成功した方なんじゃないかしらね。何年前だったか、先生が亡くなられていたことは知っていた。その方の話だと所謂社会的な成功を収めたもののご自身の作風のイメージから抜け出す事に苦労され晩年は随分大変だったようだということだった。

その先生に私は中学の美術部で指導を受けていた。初めて皆で油絵を描くことになって先生にアドバイスを受けていたときだった。

「才能の無い子に教えても仕方がない。」

そこにいた数人の子達全員にだったのか、私にだったのかは定かでない。そのときの衝撃は今でも感じられるくらいだから相当なものだったのだろう。私には才能が無いということばだけが心に残りそれは時々私のこころを疼かせるものだった。

30年近く前のことを何でこんなに忘れられないのか自分でも驚くし笑ってしまうけれど簡単に時空を超えてしまう。絵を描くことが好きだった子がそんなことを言われたらそりゃあショック、受けるよね。

話を聴いてその先生の人間としての側面が初めてみえた気がした。学校の先生もお仕事としてやらざるを得なくて好きでやってた訳でもなかったのかもしれない。先生も何かと戦っていたのかな、なんて思うとやるせない想いとともにそのときの傷ついた自分にも優しいことばをかけてあげたくなったのだった。

フェイスブックより いのちのかたち こえをきくのこえは誰のこえだったのか

2018年は初めて初めての作品集をつくってもらった年だった。物事には然るべきタイミングがあって事が成されるような気がする。もちろん自分の意思は必要なんだろうけどそれだけではきっとないのだろうな。

記録に残しておくと良いと思って、と友人のつゆきくんからの提案で作品集をつくっていただくことになったのだけど素人の写真の記録と違いプロは何から何まで違った。何しろつゆきくんの写真は大学生の時から個人的に好きだったから。長い年月を経てまた再会をしてこんなふうに一緒に何かをつくるなんてことは当時は一切想像できなかった事なのだ。

つゆきくんのサイト→

今では個展をしても観にくることはないけれど、展示をし始めた最初の頃はお母さんにみてほしかった。さして興味もなさそうだったけれど私のやっていることを少しでも理解して欲しかったのだと思う。4年前の個展のサブタイトル「こえをきく」。顔をみることができても声を聴けない、そんな状況の家族を思ってつけたタイトルだったのだけど、これはじぶんのこえだったのかもなぁ。今になってそう思うのだ。

以下転載 ↓↓

〈個展が無事に終了しました〉

10/5より開催しておりました個展、「いのちのかたち -こえをきく-」無事に終了いたしました。

ご来場くださいました方、気にかけてくださった方々に心より感謝申し上げます。

今年もすてきな会場を使わせていただきました Itoyacoffee Factory、 伊東屋珈琲 高崎店のスタッフの皆さまありがとうございました。

高崎店にあまり在店できなかったのですが、足を運んでくださった方がたまたま知り合いで一緒に珈琲を飲んだよ、なんて話を聞くとすごく嬉しくなりました。

作品集もありがたいことに初版のうち用意した30冊最終日にぴったり完売となりました。

今回自分で眺めていて、自然光のなかで観る絵たちが光合成をしているようだと思う瞬間がありました。まるでそれぞれが息をして生きているかのように。

期間中、母を連れてお店に行きました。特に娘のしていることに興味はなさそうで、母とはお互い理解しきれない切なさをどこか感じていたのだけれど

何の話からか突然、こんなことを話してきました。

あなたが小さな頃ね、陽のよく当たる縁側にお布団を敷いて裸でよく日光浴させていたのよね。ほら、その頃って赤ちゃんを太陽のひかりに当てることが大切だって言われてたでしょう。いつもいつも嬉しそうだったなぁ。

そんな話は初めて聞きました。当然本人は覚えてなどいないのですがその話を聞いた瞬間、そのときに感じていたひかりが自分の絵のなかには確かにあるような気がしました。

たくさんの愛情をもらい、ただ生きていることが無上の喜びであった時の感覚を少し思い出せた気がします。

この秋から冬はあと3つの展示予定があります。またお知らせさせてください。

長文を読んでくださり
ありがとうございます(^-^)

バランスは常にとり続ける

外側ばかりをみていてはとれるものもとれないのだ。
じぶんのなかのあらゆる要素をみて感じてそれをパズルみたいに組み合わせて。

永遠に続くように思われるそのプロセス自体が本質の道だったとしたら?
嫌になるどころかずっと遊んでいられるのかもしれないね、子どもみたいに。