怒りの地層

立春で良い気分になっていたところにちょっとした出来事で感じることがあった。理不尽な事、権力への強い抵抗が自分のなかにある事は自覚していたけれどそれは同じようなカタチで時々やってくるのだ(苦笑)。そういう時って後から頭で考えてもよく分からない。疲れてたのかしら、今日あった出来事に原因があったかなと思い巡らす。

〇〇だから◼️◼️になった
あれは▽▽だから◎◎でしょ

原因が分からないと納得がいかない。もちろん理由があって結果があることもあるだろう。
複合的な理由の事もあるし本当のところはそんなの分からないんだろうなと。

これは何かのメッセージ??
それも自分が納得したいだけの意味づけになってるとしたらきっと違うんでしょうね。

昨日は少しだけ違う感覚で意識を眺めてみた。そうしたらどうも怒りの感情があちらこちらにあるらしい?いろんな状況でその時々に感じていたじぶんの感覚を信じられず誰かの言うことに沿った行動をしたこと、抑えてきてしまった気持ち。まるで地層のように積み重なってる・・・

納得して判断したつもりでいたのがそうではなかったということが今になって判明。。。
すっかり忘れていた。ちょっと今ごろ!?ってこえが聞こえてくる。
いや、その時はわかり得なかったんだよ。力なく答えるわたしがいて脱力するしかなかった。

「怒り」は良くないこと、その無意識に入り込んだ観念が我慢しているとお知らせのように現実に立ち現れる。必死で働いていたサラリーマン時代、わたしはずいぶん怒っていたんだと思う。でも同時にその怒りをどこに向けたら良いのかずっと分からずにいた。犯人探しをするように何でどうしてを繰り返しても自分がより観念を強めてしまうだけだった。だから考えるのをやめた。

今もそれは厳然とあるんだなぁ。時間が解決なんて実は無いのかもしれない。
じぶんの本当を発掘する日々は続く。

立春とつれづれ

立春を迎えるとやっとあけたなぁという気持ちになるのはいつからだったかな。多分数年前だと思う。Facebookの過去のわたしがこの時期はいつも体調が優れないことを教えてくれていた。土用の時期でもあるからきっとそういう身体と地球のリズムなのかもしれない。

昨日はお世話になっているお寺さんの節分会へ参加させてもらった。境内はとても冷えているのだけどそのキリッとした空気が良かったりもする。そういう季節の節目をしっかりと祝ったり感じたりしてヒトはずっと生きてきてるのだろう。

数日前には髪も整えてもらって頭が軽くなった。世界が恐怖に巻き込まれた事態から3年、随分と伸びた髪は春ころにドネーションできたらいいなと思ってる。 あれやこれやと話していたら突然「いづみさんはまじめって言われますか?」って。ありゃこれは良くないな。うん。

来月の展示に向けて少しエンジンがかかりだしたみたい。

なんどもなんども

前回文章にしてみて浮かんできたこと。あなたそれもジャッジしてるよね!ってこと。
なんだか笑えるー。この繰り返しどこまでもエゴ。

なぜはやく回復しないといけないの?

あと少しで1月が終わる。今年も3月に草木染めのnogomiさんと展示をご一緒する。

はやく、準備しなくちゃなのに。
どうして身体が動かないの、なんでどうして。

最初の頃は休むしかないな〜とのんきでいられたのが
だんだんどうして動かないんだ、わたしの身体となっていった。

焦りという感情を無意識に選択してしまうわたし。
そんなものを持っても碌なことがないのはこれまでの経験で
分かってきてるはずなのにというマインド。

体調がいまひとつだとそういう方向に転びやすいのかもしれない。
抜けきらない何かを抱えこみどんよりした日々。
以前よりはどうしたらいいかも分かるのにそれができない自分もいた。

ことばにもできない重たいエネルギー
苦しみは摩擦

でもからだはしっている。
春がやってくることを、みずから動きだせる力が自分にあることを。
数日前から自然と太陽礼拝にスクワットをやりだした自分がいた。
そう、やりたくなるまで待てば良い。
ほんとどこまでじぶんを信じきれるかに尽きる。

くまが教えてくれたこと

おきたできごとに対して僅かでも違う角度でみることができたなら。
過去も自在に変えることができる。うん、これは頭で考えていること。
腑に落としていく作業が生きてくってことなんだろうか。

受け入れるということ

1月の半分を過ぎた。年明けに体調が崩れたのだけど時々熱を出すのはからだの掃除になるみたいで気持ち良い部分があったりする。熱を出すにも体力が要るのだ。昔は熱が出せなくて不調期間がやたらに長くそれで消耗してという悪循環のなかにいたから熱が出るとちょっと嬉しい。

受け入れるということはどういう感覚なのか、わからないままずっと考えていた。

熱が下がったらいきなりこんな感じなのだろうかという曖昧模糊としたかたちがおぼろげにみえてきた気がしているのだけど。ことばにならないからそっとしておくことにする。

謹賀新年2023

令和になって5年目のようです。
身体の切り替わりは立春の頃なので、傍観者の感じが否めないひねくれものなんですが 笑
今年はより自身の内側に耳をすませて過ごしていきたいと思うお正月。

あたまの整理の為、去年から意識してここに書くようにしてきました。
言葉には限界がある、でもそれを超える何かが共鳴するかもしれないと思いながら。
言葉ではないところにたいせつと思うものがころがっているような気がするけれど。

今年もなるべく降りてきたらすぐここに書いてみようと思います。

こちらを訪ねてくださるみなさまもどうかこころ穏やかに過ごせますように。

今年の展示活動は終了しました。そしてつれづれに

12月ははやいだろうなと思っていたらその通りで、あと数日で今年も終わろうとしています。
今年も無事に活動を終わることができました。個展もグループ展もそれぞれに思うことがありますが、以前よりも等身大の自分でやれたような気が少しだけしています。

12月に入ってすぐ大切な友人が亡くなったのですがその事も今の自分にとって沢山のメッセージをプレゼントしてくれたようです。自分の事が本当に分からず生きてきたなぁと今さら思うわけですが、分からないながらによくやってきたんだよと思える自分が今はいます。

「自分をたいせつに」そんなことばを耳にするようになってからどのくらい経つのでしょうか。
たいせつにするって・・・一体どうすればいいの?と戸惑いを感じた事を覚えています。
ノウハウではない「たいせつにする」それはおそらく個人個人で違うのかもしれないです。

自分でやって感じて身体に染み込ませそれを繰り返しながら自分のそれを獲得していくのかな。ひとつの季節が終わり次の何かは分からないけれど何かがはじまっていく、そんな感覚があります。

こちらに訪れてくださる数少ないみなさまもどうかご自愛くださいますように。
暖かな年末年始をお過ごしください。

12月のグループ展のお知らせ

11/29(火)から都内でのグループ展に参加します。
ちいさな作品中心ですが、この展示の為に描いたものもあります♩

☆旅するタビビトリオギャラリーat古墳のふもと☆
Cocon☆Tozai〜街とアートと風と土と〜

2022年11月29日(火)- 12月3日(土)
11:30〜18:00(最終日は17:30まで)

東急東横線・多摩川線・目黒線
多摩川駅西口出て右に徒歩2分
大田区田園調布 1-61-9

12月2日からは赤城のふもとにあるさくらカフェさんでのグループ企画展に参加します。
こちらが今年最後の展示となります。

2022年さくらカフェ企画展12/2(金)- 12/8(木)12時~17時
前橋市富士見町石井1659-14

胸に刺さったままだったことばの棘をそっと抜く

少し前、お世話になっているギャラリーさんに伺ったときのこと。ベテランの作家さんを交えお話していたときに「今は誰でも表現ができるいい時代になった」という話に。たかだか20年、30年と思うかもしれないが確かに違ったのだろうなという想像はできる。

「本当に女性が絵を描いて発表することは大変だったのよ、いづみちゃん。あなたは良いわね、今の時代に活動できて。」

そのことばに若干の違和感は感じたものの笑いながらそうですね、なんて相槌を打っていた。ふと私が中学生のときの美術教師のことが頭に浮かんだ。話してみたらその先生のことを知っているという。◯◯さんは群馬ではとても成功した方なんじゃないかしらね。何年前だったか、先生が亡くなられていたことは知っていた。その方の話だと所謂社会的な成功を収めたもののご自身の作風のイメージから抜け出す事に苦労され晩年は随分大変だったようだということだった。

その先生に私は中学の美術部で指導を受けていた。初めて皆で油絵を描くことになって先生にアドバイスを受けていたときだった。

「才能の無い子に教えても仕方がない。」

そこにいた数人の子達全員にだったのか、私にだったのかは定かでない。そのときの衝撃は今でも感じられるくらいだから相当なものだったのだろう。私には才能が無いということばだけが心に残りそれは時々私のこころを疼かせるものだった。

30年近く前のことを何でこんなに忘れられないのか自分でも驚くし笑ってしまうけれど簡単に時空を超えてしまう。絵を描くことが好きだった子がそんなことを言われたらそりゃあショック、受けるよね。

話を聴いてその先生の人間としての側面が初めてみえた気がした。学校の先生もお仕事としてやらざるを得なくて好きでやってた訳でもなかったのかもしれない。先生も何かと戦っていたのかな、なんて思うとやるせない想いとともにそのときの傷ついた自分にも優しいことばをかけてあげたくなったのだった。