怒りの地層

立春で良い気分になっていたところにちょっとした出来事で感じることがあった。理不尽な事、権力への強い抵抗が自分のなかにある事は自覚していたけれどそれは同じようなカタチで時々やってくるのだ(苦笑)。そういう時って後から頭で考えてもよく分からない。疲れてたのかしら、今日あった出来事に原因があったかなと思い巡らす。

〇〇だから◼️◼️になった
あれは▽▽だから◎◎でしょ

原因が分からないと納得がいかない。もちろん理由があって結果があることもあるだろう。
複合的な理由の事もあるし本当のところはそんなの分からないんだろうなと。

これは何かのメッセージ??
それも自分が納得したいだけの意味づけになってるとしたらきっと違うんでしょうね。

昨日は少しだけ違う感覚で意識を眺めてみた。そうしたらどうも怒りの感情があちらこちらにあるらしい?いろんな状況でその時々に感じていたじぶんの感覚を信じられず誰かの言うことに沿った行動をしたこと、抑えてきてしまった気持ち。まるで地層のように積み重なってる・・・

納得して判断したつもりでいたのがそうではなかったということが今になって判明。。。
すっかり忘れていた。ちょっと今ごろ!?ってこえが聞こえてくる。
いや、その時はわかり得なかったんだよ。力なく答えるわたしがいて脱力するしかなかった。

「怒り」は良くないこと、その無意識に入り込んだ観念が我慢しているとお知らせのように現実に立ち現れる。必死で働いていたサラリーマン時代、わたしはずいぶん怒っていたんだと思う。でも同時にその怒りをどこに向けたら良いのかずっと分からずにいた。犯人探しをするように何でどうしてを繰り返しても自分がより観念を強めてしまうだけだった。だから考えるのをやめた。

今もそれは厳然とあるんだなぁ。時間が解決なんて実は無いのかもしれない。
じぶんの本当を発掘する日々は続く。

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