思うこと

生きるということ

今年はおじいちゃんのことを考えていたら終わっていきそうな予感。結局のところ
おじいちゃんのことはきっかけに過ぎず、人間とは、世界とはということに繋がっていく。

ずっと生きていること、ここにいることが不思議と思っている子だった。

幼稚園に行き、学校にも行く。そこに疑問を感じることなくやってきた。
おまえは普通じゃないと言われ続けた言葉に普通を願って。

でも。なかなか正社員になれない、パワハラがエスカレートし躓くたびに
わたしはいったいここで何をしているのだろうと思う瞬間が増えていった。
とことんやりきるまで気づけなかったわたしは心も体もぼろぼろになるまで自分を追い詰めた。

ずっと無理してそれでも健気にやってくれていたからだにわたしはずっと鞭を打ち続けた。

絵を描いて生きたいんだって微かな自分の感覚に従えた自分を褒めてあげたいと思う。
わたしにとっては生きていくために必要なことだった。

おじいちゃんは戦争に行かずに済んだならどんな人生を歩みたかったのだろう。

ひとりの人間の存在

おじいちゃんとの関係はベタベタしたものではなかったけれど
自分でも驚くほどにおじいちゃんの存在が大きかったみたいで。

私の初めての葬儀体験は高校3年生のとき、父方の祖母が亡くなったときだった。
受験生で尚且つ自分の誕生日に逝った祖母とは関係が薄くお葬式に行ってもどこか他人事のようだった。母親はこのおばあちゃん翻弄されてばかりだったのをみていたからか母親を虐める人というイメージもあった。柩のなかにいる祖母を見ていても泣くことができなかったのを覚えている。

母方の祖母が逝った2019年、私は遠い場所に居てお葬式に参列することができず
帰ってきたらおばあちゃんは箱の中の骨になっていた。
もちろん悲しみを感じてはいたのだけれど、葬儀に出席しないという
プロセスをすっ飛ばしているせいかどこか現実味が無い事も確かだった。

そして今回、おじいちゃんが息を引きとる瞬間から葬儀まで私の身体が
感じて湧きあがってくる様々な想いや感情。

おじいちゃんの心臓が止まったとき、ただの体になったという感じがした。
物質である体が存在できるこの三次元の世界での存在はとても大きなことなんだな。

おじいちゃんは小さな頃よくデパートにも連れていってくれて最上階にあるレストランで
食事をするのが私の楽しみだった。そんな時おじいちゃんはいつも背広を着ていていたから
火葬の際にもスーツでビシッと決めて旅立っていった。
話しかけたら返事が返ってくるようなそんな気さえした。

いづみ、お茶碗に残ったお米はひとつも残しちゃいけないよ
時計と靴だけはいいものを買いなさい

90歳を超えても自分で運転してカラオケと体操教室に通っていて
たいして髪の毛が無くたって毎月床屋さんへ行っていた。

19歳で戦争に行き、負け戦と言われながら実行されたインパール作戦に参加し
その時に受けた銃弾が体に入ったままだったおじいちゃん。
お骨になったらその弾を見届けようと尋ねてみたけれど、それは無くなっていた。
一緒に空に上がっていったようだ。

火葬されるのを待っていたとき、空を眺めていたら頭上に大きな鳥がくるくると2回
廻旋して去っていった。おじいちゃんだと瞬間的に思った。

こんなにしっかりお骨が残るのは本当に珍しいことです、と葬儀場の方が仰って
くださったけれど骨になってもおじいちゃんはおじいちゃんだった。

美しいと感じた。そして堂々としていた。

母に「俺といづみは気が合うんだ」って言ってたらしい。
本当だったのかどうか今となっては確認する術がない。

おじいちゃんと私

先週、おじいちゃんが天に召されました。
このときがいつかやってくることは分かっていたはずなのに
自分が後悔しないだけのことをやれることはやっていたつもりなのに
悲しいという感情よりも上手く言葉にできない気持ちが渦巻いてる
102歳といえばもうおめでとうって言われるくらいなのかもしれないけど。

病院が苦手で知らない人が家に入ることを嫌い介護サービスも拒み
家族がお世話をして基本一人で暮らしていたおじいちゃん。

最期は自宅で安らかに逝くことがおじいちゃんにとっても
私にとっても理想だと思っていたのだけれど

ひとつ何かのタイミングがずれたりちょっとした躓きが
全てのバランスを崩していく
本当にちょっとしたことから体調を崩し病院での最期となりました。

おじいちゃん、とりあえず家に帰らなくちゃ
待ってるから必ず帰ってね
握り返してくれた手はとても強かったから
大丈夫と思ってしまった。

祖父と孫という関係性だけではない
おじいちゃんは私にとっての尊敬するリーダー
いつからかおじいちゃんががんばってるのだから私もって
その生きる姿が自分のモチベーションになっていたのでした。

いづみ、俺がした戦争の話をおまえがまとめてくれ。
録音を重ねながらいつかと思っていたことのいつかはやってこなかった。
おじいちゃん、ごめん。

 

ことばが浮かんでは消えていくから

来年の手帳を買った。昔はメモ魔だったけれど、書けば書くほどマインドを強める気がして書くことをしなくなりもう何年もぺらぺらのノートで十分だったのだけれど。軽いしね。

ぱっと頭に浮かぶことばやちょっとした出来事。書いておくと記憶の手がかりになるんだなぁと

習慣とは恐ろしくやらなくなるとまるで無かったかのような振る舞いでわたしの頭は空っぽだ。
紙をめくる音やペンで書きつづる文章。ささいな事が筋トレのようになっていたように思う。

そして月のリズムをまた思い出したいなぁと思っていたらこんな手帳をみつけた。ちょっと贅沢かなとページを開けては閉じたりを何回か繰り返し自分にプレゼントした。さて、書けるかな。

終わらない夏

9月も半ばだというのに気温がなかなか下がらない。秋だなぁと感じる空気や瞬間は時折あるもののそれ以上に暑い印象。

野菜やくだものはその季節をほぼ間違いなく教えてくれる。
草も花もそうだけれど。

それは何でかなと考えたら誰に教えてもらうものでもなくそもそも備わっている知性なのかなと思う。人間にも同じくそんな知性があるんじゃないかしら。

春に感じること

春を待ち遠しく思う気持ちとまだこないでという気持ち。
春は揺らぐ。春は切ない。
いろんな気持ちがわきあがるこの季節。
集合意識と集合無意識と。

人間はさまざまな感情を感じて生きているようでも
ようくみてみればそんなにたくさんではないみたい。

変わりめを迎える方々にこころからおめでとう。

すべてが内側からの発露

「I know」というタイトルの作品。2016年に描いたもの。

描いたときにわからずにいたことが後になって何となく腑に落ちるというようなことがけっこうある。
時間を超え語りかけてくる。

「自分で何を描いているか分からないって何ですかそれ(笑)」というようなお言葉をいただいたりしてそれをすこし恥ずかしいことだと思ったりもしていたけれどそんなことはなかったな。少なくとも自分にとっては。

いづみのづはずじゃないの

11月に入り、今年もあと2ヶ月。もしかしたら本当に時間が短くなっているのかもしれないと思うこの頃。自分の頭は過去と今と未来とを行ったりきたり。

俯瞰することはニュートラルに捉えることと同じくらいとても難しいなぁと思う。
自分の認識できることはとても狭くて、でも広大な海のようでもあり。

いま、セイダカアワダチソウが花盛りで車を走らせていると鮮やかなきいろが目に飛び込んでくる。この植物をみると自動的に中学一年の担任だった先生のことを思い出してしまう。

その当時「これは外来種でとても悪いやつなんだぞ」と先生は教えてくれて「へぇ!そうなんだ」と中学生のいづみちゃんは思った訳です。それが今では薬効がありお風呂に入れるととてもいいなんていうことを聞くように。それでも私の頭のなかでは悪いものというイメージが拭いきれないまま・・・
初めて見たり聞いたりの印象はなかなかに強い。

その先生はいわゆる熱血先生でいつも一生懸命な先生で。好きな先生ではあったけれど、いつだったか「いづみのづはふつうはすにてんてんだ」と言われたことがあった。もしかしたら冗談だったのかもしれない。けれどそのときの衝撃がいまだ自分のなかにあることに気づくのだ。

手放すことと受け入れること

お彼岸が過ぎ、さらに秋の空気を感じるように。寒くなってくると自然とじぶんの内側に目がいくようになる。わたしの場合は年がら年中そんな感じではあるものの。。。

サラリーマンの頃からヨガをずっとやっていて、今は時々やるくらいのスタンスだけれどいつからか「手放す」ということばを無意識によく使うようになっていた。

数日前ある方と手放すってヨガやってる人よく使うよねなんて話をしていたときのこと
あぁ、手放すとは受けいれるということでもあるのかなという感覚が頭をよぎった。

ベクトルとしては真逆だけれど。
何だかわたしにはそう思えた。

ことばの表現に長けていると簡単なのかもしれないけれど自分の感覚をことばでカチッときれいにはまるように言いあらわせたとき、水面がさささと波紋を描くようにわたしのこころの奥の方にまで届く感じがする。

だからわたしにとってはそれがほんとうのことなのかもしれない。