2025年 6月 の投稿一覧

個展開催中です

前橋にある天台宗 五徳山 大徳寺さんで個展を開いています。
昨日初日を迎えました。毎日会場に居ります。

毎年蓮の季節に蓮まつりを開催されており同時開催となります。
会期中法要や坐禅体験、写経体験のほか水彩の体験ワークショップを開催しますので
お気軽にご参加ください。

昨日は大般若転読会があり大変賑やかな会となりました。
今のこの世界に生きているということ、しっかりと胸に刻みたいです。

あらい いづみ展「まどろむ」

2025.6.27(金)-7.3(木)
初日のみ12:00オープン

10:00-16:00

最終日の入場15:00まで

【にじみや色を楽しむワークショップ】

6.29(日) 10:30-随時受付

所要時間30分から1時間ほど

参加費 1,000円

いつか確実に肉体を脱ぐということ

ずっと不思議に思っていた「生きてる」という感覚。
それなりに生きてはきたのに不思議だなぁという気持ちが時々湧きあがる。

誰に話すこともなく、こんなことを言ったら暗い人だと思われるかもしれないとか
大人なんですからそんなことを話したらおかしな人と思われちゃうかなとか。
実際に楽しいことだけにフォーカスされたそんな時代だったような気がする。

ヒトの感覚はそれぞれで考えもそれぞれということは大人の頭では当たり前。
「死」に対しては積極的に考えないようなバイアスを自分でかけていたのかもしれず。
恐れがいっぱいあるから。

でも、でも何でだろう?という感覚とは常に友だち。

日々労働や生活にまみれているとそういうことは考えないで済む。
目の前のことに精一杯で遠ざかってしまうけれど答えのない「生きる」ということ。

思考の渦に取りこまれたら苦しくなるけれども
それでも知りたいという欲求。

子どもじみている?

「大人なのだから」という意識が邪魔してるような気もする。
歳を重ねないと分からないこと。突然変異で全く違った人になる訳ではない。
そこには体感が伴う。

自分がいつかは死ぬということも頭では理解している(つもり)。
でもそこにリアリティは無い。何故なら今は生きているから。
誰かの死を通してしか感じることができないのだ。

どんなに歳を重ねても身体は絶えず生きる方向にしか動かない。
病気を得たとしたら生き方のバランス崩してるよというお知らせのサイン。
肉体という仕組みの完全性にいまさら驚くばかりなのだ。

いつだって私たちは不完全で完全なのだなあ。
そのことに深い感謝の気持ちが溢れるこの頃なのです。