春。
卒業や新しい生活やリズムが始まる季節。
春と聞くだけで、ふわっとした始まりやあたらしいことを同時に想像する。
春がスタートの季節になったのはいつからだろう。
それなりの年月を生きてきたわたしもまたあたらしい何かに向かうそんな気持ちのこの春。
何回でも「あたらしい」は重なりつづける。
肉体の終わるそのときまで。
春。
卒業や新しい生活やリズムが始まる季節。
春と聞くだけで、ふわっとした始まりやあたらしいことを同時に想像する。
春がスタートの季節になったのはいつからだろう。
それなりの年月を生きてきたわたしもまたあたらしい何かに向かうそんな気持ちのこの春。
何回でも「あたらしい」は重なりつづける。
肉体の終わるそのときまで。
いよいよ、来週から伊東屋珈琲さんでの個展が始まります。
いつのときも準備は足りていないような気持ちでいるのですが
これでばっちりというときはなかなかありません。
それでもいまの自分のせいいっぱいを意識してはいます。
わたしの作品はそのときの自分が色濃く出てしまっている気がします。
ライブみたいな。
サラリーマンをしていた数年前までは本当に酷いもので
気持ちの切り替えに時間がかかり、続かない集中力と
集中し始めるとまた仕事に行かなくてはならない悪循環とで
自分を苦しめていました。
昨年、本当に全てを失ったような状態になったとき
描くことだけが自分のそばにありました。
助けられたと思いました。
一般的には絵描きで暮らしを成り立たせることは
難しいとされていると思います。
私にとってもそれはずいぶん昔からのテーマで
「趣味でやりなさい」とか、「ゆめみたいなこといってるんじゃない」
ということばに無意味に傷ついてきていたように思います。
両親は公務員になるようにずっと私に言ってきたくらいの人たちです。
ずっと暗いトンネルのなかにいました。
それでも気づいたときには絵を描いて暮らしていくんだって
なぜだかそう思っていてしまった自分がいて、
歳を重ねれば重ねるほどに自分をだませなくなってきて
そんな頃パワハラにあうようになり、どうしようもないほどに
精神が崩れかけ逃げるようにサラリーマン生活にピリオドを打ったのでした。
時間がそれなりに経った今では経験に良い悪いもなくただただ貴重な経験ができた
と思えるようになってきています。
サラリーマンをしたから良かったと思うこともきっとね(あると思う。)
今は以前に比べて、描くことに時間を割くことできるようになりました。
アルバイトをやりつつの制作生活ですがしあわせです。
お金は課題だけれども少しずつ少しずつ。
手を動かすことはきっとずっとやっていくでしょう。
何故なのかは自分でも理由がわかりません。
最近のコメント