日々

おかあさんの庭

世間様はゴールデンウィーク。そう言えば今日は子どもの日だった。

作業していると母が「ねぇ月見草知ってる?」と聞いてきた。
聞いたことはあるけれどどんな花かは知らないと答えると
「ちょっと来て」と手招きする。

庭に黄色い花が咲いていた。
母がどこかからか移植してきたらしい。

ジューンベリーに巻きついたハゴロモジャスミンは
開花しだしてふわっとした香りでその存在をアピールしている。

「これさ、あなたがもらってきたフラワーアレンジメントから挿したのよ」
「何だっけ?」

「あじさいかと思ったらオオデマリだったね」
「こんなに大きくなるんだ、すごいね」

庭の端には野菜のポットが行儀よく並ぶ。
少し前に種まきをしたものの芽が出てきたのだ。

「これは買った種だけど、これはお母さんが種とりしたやつだよ」
いつの頃からか畑の野菜のほとんどを母が毎年を種とり育てていた。

「これ何だかわかる?」
「きゅうり?」
「お、正解。よくわかったね!」

「それじゃこれは?」
「えーとメロン!」

「ぶっぶー」
「なんか瓜っぽいんだけど」

「近いね」
「分からない」

「正解はマクワウリ」
「それは分からないよー」

太陽が燦々とふりそそぐなか
こんなやりとりをしたのはもしかしたら初めてかも

ちいさな頃、母の後ろにくっついて「これは何?」
と聞いてばかりだったわたしが出てきた。

生まれたときの家の庭が大好きだった。
引っ越したとき、おかあさんはもう庭には何も植えないと言っていたけれど
いつの間にかちいさくとも立派な庭が育っていた。

わたしはいったい何を見ていたのだろう。
そんなことを思うことが最近多い。

「おかあさんね、もう挿し木やめるね」って
今日言ってたけどどうだろう。

「大丈夫。好きなだけ挿せばいいよ。わたしが引き継ぐから。」

わたしには愛でるだけで育てる力が本当に無いのに
口から勝手にそんな言葉が出ていた。

 

春分を過ぎて

春分の日。カチッと何かが変わった感覚。
時計の針がひとつ進んだような。

暦ってすごいと前から思っていて
自分の身体と心と地球が同期しているのかな。

それを発見した昔の人はほんと凄いなぁ。

そろそろ

今日から2月。2025年がはじまり1ヶ月。こちらをご覧くださっている方々にも充実と安心感を感じられる1年でありますようにと祈ります。

今年は珍しく年末年始体調を崩さずに1月めいっぱい動けた。
再開してみた習慣も。ゆったりのんびりなどと言いながらちっともそんなふうに自分を扱ってこなかった。自分を監視するから見守るへ。いってみましょ。いくらでもやり直せばいいのだから。

突然に秋

暑い暑いと思っていたら唐突に秋がやってきた。やっときてくれたね、秋。
日差しが強くても空気が透明になってきてるのを感じる。

秋は肺の季節でもあって落ち込みやすさや重さを感じたりもする。
そして気持ちは内側へ向かっていく。
いつものゆっくりを思いだそう。

立春を過ぎてようやく。 今年もよろしくお願いいたします。

心身ともにあけてきた感覚。外側に依らず自分の感覚に従う。
今は情報がたくさんありすぎて身体が悲鳴をあげてしまいそうになるし
頭はもっと知りたいとそれをやめることをさせないけれど。

立ち止まり耳をすませるのは自分のこころ。

今年はそんなことを大切にできたらいいな。
2024年が皆さまにとってもかけがえのないすばらしい日々でありますように。

立春とつれづれ

立春を迎えるとやっとあけたなぁという気持ちになるのはいつからだったかな。多分数年前だと思う。Facebookの過去のわたしがこの時期はいつも体調が優れないことを教えてくれていた。土用の時期でもあるからきっとそういう身体と地球のリズムなのかもしれない。

昨日はお世話になっているお寺さんの節分会へ参加させてもらった。境内はとても冷えているのだけどそのキリッとした空気が良かったりもする。そういう季節の節目をしっかりと祝ったり感じたりしてヒトはずっと生きてきてるのだろう。

数日前には髪も整えてもらって頭が軽くなった。世界が恐怖に巻き込まれた事態から3年、随分と伸びた髪は春ころにドネーションできたらいいなと思ってる。 あれやこれやと話していたら突然「いづみさんはまじめって言われますか?」って。ありゃこれは良くないな。うん。

来月の展示に向けて少しエンジンがかかりだしたみたい。

謹賀新年2023

令和になって5年目のようです。
身体の切り替わりは立春の頃なので、傍観者の感じが否めないひねくれものなんですが 笑
今年はより自身の内側に耳をすませて過ごしていきたいと思うお正月。

あたまの整理の為、去年から意識してここに書くようにしてきました。
言葉には限界がある、でもそれを超える何かが共鳴するかもしれないと思いながら。
言葉ではないところにたいせつと思うものがころがっているような気がするけれど。

今年もなるべく降りてきたらすぐここに書いてみようと思います。

こちらを訪ねてくださるみなさまもどうかこころ穏やかに過ごせますように。

返り咲く力

私はバラが好き。好きなだけで育てるのは母。なのでもうこれ以上増やさないでと言われている。
今は3種類のバラが育っているがこの写真のバラは10年以上前、生産農家さんから購入したもの。カフェオレ色の茶色いバラだったのにいつの間にか色が変わっていた。母に尋ねると挿木されていた部分が無くなってしまい元のバラになったのよ、原種は強いよねとそんな話。

お花でも野菜でも先祖返りすることがままあるようだ。もともとのかたちに返ろうとする力。
ヒトはどうなのかな。経験や社会的な信念体系を歳と共に積み重ねてきているわたし。もともとはどんなヒトなんだろうと考えている。

庭のばら

いのちをつなぐ手

家の庭は今花ざかり。じっとみている訳ではないけれど様々ないろが目に飛び込んでくる。先日、テーブルのうえにちいさな紫陽花が飾ってあった。これは見覚えがない。

母に聴いてみると「ほら、あなたがもらってきたお花のアレンジメントに入ってたあの花よ」と言うけれど全く覚えがない。よくよく聴いてみると2年前、個展の際にお友だちに頂いたアレンジメントに入っていたお花を挿したとのこと。何種類かあったけれど、

「このお花が根付きますように」とお願いしたらひとつだけついたのよ、と。

やっぱり母は魔法の手を持ってるって、確信した。
残念ながらわたしにはその魔法は受け継がれていない。

つぎつぎと、春

たった数日の間に春はどんどん開いていく。
早いとか遅いとか決めてるのは自分なんだな。
花はただ咲いているだけ。